1998年2月。
私がインターネットで奄美たんかんを売り始めた年です。早いもので、もう20年になります。当時、奄美たんかんはインターネットでは全く無名の柑橘でした。そもそも奄美大島がどこに所在するのか分からない方のほうが多かった頃です。
地元奄美では特産果実として多少人気が出始めた頃で(この頃からの代表的な生産者が尊敬する平井学さんです・わたし、今でも平井さんの前では相当緊張します)ちょうどタンカンの栽培ブームに火がつく前夜といったところでした。
あの頃は地道に栽培をする限られた農家さんが、主に農家直送で販路を開拓していました。人口流出が続く奄美大島では島内消費には限りがあり、島内販売だけでは農業経営は成立しにくかったのです。そこで、私は普及し始めたインターネットで、この奄美たんかんを紹介できないかと考えました。まだシマでは通信販売が根付いていない頃でした。
「厳選した奄美たんかんの美味しさは格別だ」という想いはありましたが、まったく無名の柑橘です。タンカンが柑橘(=みかん)とさえ知られていない頃でしたから、私は厳選した奄美たんかん(糖度13度前後)を「みかんの王様@奄美完熟たんかん」と名づけ、イメージをこわさないように化粧箱なども用意してネットで売り始めました。
奄美の果物はインターネットでは人気が出始めていましたが、もともと奄美は稀少なフルーツが多く(言葉を返せば果物の生産力が弱く)、果樹の専業農家さんは数えるほどしかいなかったのです。その数少ない専業農家さんたちが好んで栽培していたのがタンカンでした。
彼らは10年後に収穫できるタンカンに賭けていました。 今年栽培を始めても収穫できるのは、早くて3年先。1人前の果樹園になるまでは10年かかるといわれています。亜熱帯気候を利用した奄美ならではの農業ですが、夏の旱魃、秋の台風、冬の長雨など試練は多いもの。意欲のある農家さんの品を紹介できないかと、今でも自問自答しています。
そして、奄美完熟たんかん、圧倒的な支持を得る!
ネットでタンカンを売り始めた時は、祈るような気持ちでした。
私自身、この島で暮らすことには喜びを感じていましたが、妙な焦りを感じていました。それは、この島の行く末であり、私の使命であり、漠然としていましたが「何によって名を覚えられたいのか」という問いに対する答えを探していたからでしょう。
「タンカンが売れなければ、果物のネット販売は辞める」
という覚悟で取り組んだものです。
私のインターネット販売は、この奄美完熟たんかんから火がつきました。奄美完熟たんかんは、高い糖度と、ほどよい酸味がおりなす絶妙の味わいが評価され、一躍、インターネットを中心にクチコミで人気が広がり、熱烈な支持を得ました。「この道でいける」と涙が出ました。
私にとっては一か八かの大勝負でしたが有難いことに奄美完熟タンカンは飛ぶように売れました。売り切れが続出し、それでも欲しがるお客さまが殺到し、納期まで1ヶ月待ちでも買ってくださいました。 このときからの@やっちやばファンがどれだけ多いことか。以来、奄美の果物販売が私の本業になりました。
これまでの10年。
果樹の専業農家も、今では随分と増え、なかには立派な後継者も出てきました。新たな柑橘団地にむけて開墾を始めた農家さんたちもいます。光センサーを導入した果実選果場もまもなくスタートするでしょう。3年前に移植をしたやっちやば農園の完熟タンカンも、この冬、ほんの少しですが収穫を迎えます。
私にもいくつかの出来事がありました。家族を失う一方で、新しい家族を得ました。初めて入院を経験しました。相次ぐ台風被害でどうにもならない年もありましたが、支えになったのは、いつも奄美の人と自然、ネットによって知り合えた島外の人々でした。
寒さが厳しいほど、タンカンの美味しさは仕上がります。人間もきっと同じなのでしょう。
「幾たびか 辛酸を経て 志 はじめて堅し」
幕末、奄美で雌伏の時を過ごした西郷隆盛の漢詩です。